幸田露伴の幸福三説 幸せとは「残して共有して持続させるもの」

杉山です。

さて、今回は「幸福」という、かなり壮大なテーマになります。

人類の永遠のテーマと言っても過言ではないでしょう。

ある程度の読書を積んでいる人であれば、
先人たちがいかに「幸福」について考えていたかがわかるでしょう。
現に「幸福論」というタイトルの本だけでも数多くの種類があります。

それだけ、人間にとっては重要なテーマであり
誰もが「幸せになりたい」と思い、「どうしたら幸せになれるのか」
を追求してきた結果なのでしょう。

そこで今回は「幸福」に関してとても興味深い説を記されている
幸田露伴の考えを紹介したいと思います。

幸田露伴の「努力論」

幸田露伴とは作家の一人ですが、「幸福」と言うのもに対して
非常に深い知見を与えてくれています。

それが記述されているのが「努力論」です。

おや?本のタイトルは「幸福論」じゃなくて「努力論」なの?
と聞きたくなりますが、そうなのです。

彼は幸福になるためにはどのように”努力”すべきかという視点で
幸福に関して述べています。

だから努力論になっているのです。

そこで、そもそも幸福とは何なのか?
それについて言及しなければ、根本的に努力の仕様がありませんね。

そのために彼は「幸福三説」というものを提唱しています。

それが、「惜福」「分福」「植福」の3つです。

聞きなれない単語ですが、
漢字を見ればなんとなく意味は想像できるのではないでしょうか。

ただ、この単語だけを並べられても
すべてを理解できないと思いますので
1つ1つ見ていこうと思います。

惜福

一つ目は惜福というのもです。
これは字を見れば、「福を惜しむ」と書きますね。

まさにその通りで、「福を惜しむこと」が大事だと指摘しています。

自分の持っている福(幸福)を
”使いきらない”、”使い尽くさない”ようにすべきだと言っています。

ここで言う「福」という言葉は抽象的なのでわかりづらいですが
例えばお金と考えれば分かりやすいでしょう。

自分の持っているお金(福)を使いきらないこと。
使い尽くして全て無くならないようにすること。
しっかりと残しておくことが大切だということです。

これはなんとなく感覚的に分かると思います。

持っているお金を遊びなどで使いきってしまえば、
その時の欲望は満たせるかもしれませんが
本当に必要な時にお金が無い状況になります。

それでは、やはり不満足、不愉快な状況に陥ってしまいます。

それでは「幸福」ではないといっているのではないかと思います。

自分の手にできる幸福を、すべて自分で消費し尽くしてしまうことは
決して幸福にはなれないと言っているのでしょう。

また、なぜ「残しておく」ことが大事なのかは
次の「分福」に関係してきます。

分福

2つ目は分福です。

これは、自分の持っている福を他人へ分け与えるという意味です。

私達は自分一人では生きてはいないので
余程特殊な環境にいない限りは、
どうしても他人の存在を無視できません。

そして、他人の力を借りて生きています。

そのため、自分が幸せになるためには
やはり自分の周りの人も幸せでなければなりません。

自分が幸福になるためには、
その自分が生きている周りの環境にいる他人も
幸福になってもらわないといけません。

そのため、自分の幸福を分け与えることで他人を幸福にし、
最終的には自分が幸福になれるのです。

ここからは私の個人的な考察です。

この「福を他人へ分け与える」というのは、
一見すると単なるキレイ事のように聞こえる人もいるかもしれません。
しかし、実は『幸せ』というものに関してとても重要な視点を示唆しています。

それは何かといえば、

『自分が幸せになって、初めて他人を幸せにできる』

という視点です。

どういうことかというと
この「分福」というのは意味からすれば「福を分ける」ということですが、
これは、そもそも”分けるだけの福”がなければ始まらないわけです。

つまり、「自分に福があって初めて他人に分け与えられる」
ということです。

そこには福の順番があるということです。

  1. 自分が幸せになる
  2. 福を分け与える
  3. 他人も幸せになる

というステップを踏むことになります。

なので、「まずは自分が幸せになることを目指すべき」
というのが私の主張です。

そして、先ほど惜福は分福と関係すると言いましたが
その意味は、分福するだけの福がまず無いと困るので
福を使いきってしまったら分福はできないという事です。

つまり、自分の福を使い尽くさずしっかりと残しておく惜福をするからこそ
他人へ福を分け与える分福が可能となるのです。

なので、分福をするために惜福がある、とも言えるでしょう。

植福

そして3つめ。植福です。

福を植えると書きますが、まさにその通りで
果実(福)のなる植物を植えることと捉えることができます。

未来の福のために、その植物の種を植える作業がまさに植福です。

ここで1つ大事なことを言いますが、
それは、福はすぐには手に入らないということです。

そもそも、今の自分の幸福は、
過去の誰かが種まきをしてくれて、
それが育った植物から頂いているおいしい果実(福)か
もしくは、周りの人達から分け与えてもらった福(分福)のはずです。

いづれにしても、
今の自分が享受しているすべての幸福を
自分たった一人の力で手に入れた人はいないはずです。

今の便利な生活は、自分で全てこしらえたものではありませんよね?

生活に必要な水道、ガス、電気、食料、衣料、家具、電化製品など
それら全てをあなたが作り、用意したのでしょうか?

違うはずです。

それらを含め、世の中にある商品やサービスなどの価値あるもののほとんどは
他人が用意してくれたものです。

あなたが自分ひとりで生み出したものなど、ほぼないはずです。

ですから、今のあなたが得ている幸福は
優秀な先人たちによるものか、友達や家族によるものはずです。

科学技術の発展は先人たちのおかげ。
子どもの時の生活費や教育費は家族のおかげ。

家族によるものは分福ですが
先人たちによるものは『植福』です。

この『植福』こそが福の源泉です。

福はここから生まれるのです。

これは言わば、未来へつなぐ幸福づくりです。
幸福を持続させる作業がまさに植福です。

決して自分が使うためではなく
未来を生きる人のために福を作る作業です。

将来大きな福をもたらす事を期待して
福の種を植えるのです。そしてそれを育てるのです。

これは具体的には、
仕事を通じて世の中に価値を提供することでしょう。

仕事は、自分の生活費を稼ぐためでもありますが、
大きな意味は「世の中にとっての価値提供」です。

今の私達の生活があるのは、
すべて過去の人達の仕事(価値提供)のおかげです。

それがなかったら今のこの生活はないのです。

だから、私達も同じように仕事というものを通じて
世の中に価値を提供し「植福」をするのです。

それによって社会に福を生み出すことができ
それが循環していきます。

結果的に自分を含め周りの人達を幸福にし
未来を生きる人達も幸福にできるのです。

ここまでをまとめて、私なりに解釈すれば

私達は先人たちによる「植福」や家族や友達による「分福」によって
生まれてから子供時代までは福をたくさんもらっています。

そしてそれを私達はどうすべきかというと
その福を使い尽くさず残しておき(惜福)、
周りの人達へ分け与えてあげます(分福)。

そして、社会人となり自分で価値(福)を提供できるようになると
社会や未来の幸福のために仕事をします(植福)。

そして時がたち、その植福による福を
誰かが受け取ります。

これはまさにサイクルのようになっています。

「惜福」→「分福」→「植福」→「惜福」→…

このサイクルの維持こそが幸福であると
私は解釈しています。

幸福観づくり

ここまで、幸田露伴の幸福三説の意味に
私なりの解釈を交えてお話してきましたが、
きっとあなたなりの幸福観があると思います。

それはそれで大事にして欲しいと思います。
なぜかといえば、幸福に絶対的な答えはないからです。

そもそも「幸福」というものに対して
その正体を知りたいという感情が沸いてくるのも
「幸せになりたい」からに他なりません。

なので、幸田露伴の説や私の解釈なども
すべては「幸せになるため」に使ってもらえればいいわけです。

別に「正しい・正しくない」はないので
今回の話は、あなた自身の幸福追求のための
思考材料として参考にしてみてください。